pappoのアロマテラピー
大切なパートナーにアロマテラピーを
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妻の幸せが子どもの幸せであり家族の幸せだということ

突然ですが、今日読んだ本の中からいくつか引用してみます。
非常に厳しい内容を含んでおり、読んでいて胸が締め付けられるような気持ちになりますが、どうか最後まで読んでいただけたらと思います。

・子どもが生まれ、マイホームを手に入れ、何不自由のない生活のはずなのに、足りない物がいっぱいあるような気がします。

・自分が最も自分らしくある状態とはどんな様子だろう。4歳と2歳の子どもをかかえ、団地に住む私のやりたい事。子どもと遊びたい。お友達とのおしゃべりを楽しみたい。・・・育児サークルの仲間と子どもと母親のためのイベントの企画がしたい。
では、できる事は何だろう。いろんな情報に溺れ一日一日と過ぎていく時間の中で何かが違うと感じながら、何もしないでいる。
子どもと遊び親たちとお茶会をする。これでもよい。しかし、満足できない。・・・夫がいて子どもがいる。逃げることのできない事実。これが私の出発点だ。ここから自分を開かせる方法をもとめて、今日も私はウロウロと歩き回り地面を固める。

・(わが子が)初めて立って歩いた日の感動は、言葉にならないくらいでした。とてもステキな宝物を授かったようで、ありがたいという気持ちでいっぱいでした。
でも、少しゆとりがもてるようになると、他にやりたいことが次つぎに出てきて、いまはできそうにないとあきらめる。
するとまた別のことが浮かんできて、どうしてがまんしなくてはならないのだろう? とイライラする。
母親はみんな同じ思いをしていると思う反面、同じ親なのに、父親の方はほとんど変わっていないなんておかしい!
しわよせは全部母親なんて、絶対変だ!
結局1日24時間を娘のペースで動かされるのがもっとも耐えがたい。あとから家族に加わった彼女は、なんの許しもなく一家の中心となってしまったわけです。
それがわが子であっても許せないなんて悲しいですね。

・わが家には長男(6歳)と長女(4歳)の二人の子どもがいます。ペタッとくっついてきたり、邪魔されるのがガマンできません。
それに、子どもって要求ばかりでうんざりします。
お菓子買って、友だちの家へいきたい、ビデオ見たい、お腹すいた、本を読んで、ゲームさせて、着替えさせて・・・・・・。
子どもといると常に神経を刺激されるような感じでイライラします。
自分がなくなるような気がして、本当に一人になれる時間がほしい。
それまで長男は手のかからない子だったので、子どもの存在を意識しないですんでいたのかもしれません。
長男が2歳のとき、長女が生まれ、子どもの存在を常に意識せざるをえなくなりました。
このころから長男のすることに、いちいち口出しするようになったのです。「早くしなさい!」を連発して子どもをふとんに入れ、“子どもが寝たら、あれしよう”と思いながら添い寝をすると、私も朝まで眠ってしまう。
気分転換をする時間もなかなかとれません。
私は子どもには手は出しませんが、神経がたかぶると、棚の上の物を投げつけたり、断ちばさみを柱に突きさして折ってしまったり、本をめちゃくちゃに引きさいたり・・・・・・。
子育てって、こんなにつらいものなのでしょうか。

・長男は次男の面倒をよくみてくれる。
みざるを得ないんだろうとも思う。
私が定時で帰れないときは、保母が次男を送ってくれる。
私が帰宅するまで二人で留守番。
米をとぎ、ごはんを炊いて私を待っていてくれる。
「とってもえらいんですよ」と、長男のことを私は他人によく言う。
自慢気にいつも話す。
それなのに私のなかで、長男を嫌っている私がいる。
母親なのにわが子を愛せない。長男は、よく鼻をすする。
あの音がいやでとても気になる。
ほかの部屋にいても必ず注意する。
注意というより怒鳴る。部屋をよく汚す。パジャマや下着が投げ捨ててある。どんなにおもしろいテレビを見ていようがすぐに片づけさせる。
すぐにしなければ、また怒鳴る。
返事がなかったり、ふてくされたら、殴る。
それからくどくど説教がはじまる。
反応がなければ、答えを求める。
答えがなければ、また殴る。

・私も子どもに対して愛情の薄い母親だと思います。
特に長男(6歳)に対して、長女(4歳)に対するより厳しく虐待しているかもしれないと思うものの(自分がしていることは虐待だったと思いはじめていますが)どうすることもできずにいます。
とにかく長男のやることなすこと勘にさわることが多いのです。
指吸いの注意からトイレの使用にいたるまで顔を見れば怒っているといっていいでしょう。
夫は子煩悩でやさしく甘いので、二人そろって怒るとかわいそうだとすぐに子どもの側にたってかばっているので、よけいこちらのイライラがつのります。
最近長男も強くなり、以前のように簡単には泣かなくなり、泣かせたいという欲求が満たされなくなるとそれこそ思いきりこづいてみたり、将来、家庭内暴力で殺されるかもしれないと思いつつも、とりあえずいまのイライラを解消したい・・・・・・これがなぜかすべて長男に向かうのです。

・「吐くんなら、ここだよ! もう替わりのシーツもパジャマもないんだから、汚さないようにここへ吐いて!」私にはふとんを汚されないことのほうが大事だ。

・私の場合、そのときの自分の精神状態により許容範囲が極端にちがってきて、その態度も穏やかなときもあれば、激しいときもあるのです。
ささいなことでも、それがきっかけとなり、自分の気がすむまで大声をあげたり、子どもを突きたおしたりするのです。
嫁としてこうあらねばならない自分と、本当はいちばん先に休みたい自分、何かをしたい自分がいつも葛藤するのです。
この葛藤が主な暴力的行動の原因かもしれません。

・この子はかしこい子なんだもの、このくらいのこと言えば分かるはずなのに、どうしてわかってくれないの。
この子はやさしい子なんだもの、私はそう育ててきたはずなのにどうしてこんな反抗的な目で私を見るの、素直にごめんなさいってどうして言わないの・・・・・・。
自分がこの子はこういう子のはずだって思ってたのに、そうじゃない部分を子どもがみせると、自分が否定されたような気持ちになるのだろうか。
そんなはずじゃない、本当はちがうでしょ、さあ早くあやまりなさい、とムキになり、何がなんでもごめんなさいを言わせなければ気がすまなくなってきて、次つぎに言いたてる。

・“この子がギャーギャー泣くのが気に入らない!”
という気持ちだけが残り、泣いている子をソファの上に放りなげたり、顔をたたいたりして、よけいに泣くのをおもしろがっているような、いま思うと寒気がしますが、長女が1歳から2歳半くらいになるまで、そんな毎日を過ごしていました。
また、長女が他人にあいさつがきちんとできず、私に隠れたりするときもイライラしました。

・自分だけがとりのこされた気分になったのは、6~7年まえ。
四男が生まれて育児に奮闘していたころに、「仕事で、学会発表のためカナダに来ている」というハガキを友だちからもらったときでした。
それまで、子どもに手をあげることなどほとんどなかったのに、カナダからの友だちの手紙を受けとったとき、まるで張りつめた糸が切れてしまったかのように・・・・・・。
それから一年くらいは子どもに、とくに長男の場合が多かったように思いますが、厳しく、ビシビシと怒鳴っていました。
好き嫌いは絶対にさせないし、あまりぐずぐず言って寝ないと、ピシャッとほっぺをたたいたり。
言葉で浴びせる暴力はすごいものでした。
朝から大きな声で「早くしろ、早くしろ」からはじまり、幼稚園の上履きを忘れたことも子どもの責任にして、子どもを責めていました。
“長男なんだから、もっとしっかりしてほしい”と思うより、何か自分自身の心の中のイラだちから怒鳴りちらしていたのです。

・24時間拘束されている感じが、これほど苦しいものとは知らなかったし、自分は子どもが大好きなはずなのに、自分の子どもをうとましく思ったり、言葉や行動で暴力をふるったりする、そういう自分が何か恐ろしい怪物のように思えて、でもどうすることもできないイラだちを感じていました。
そして何より、社会から、職場から必要とされていないんじゃないか、いま私が死んでも、なんの変わりもなく毎日が過ぎていくんじゃないかという孤独感がいちばんつらかったように思えます。

以上↓より引用
ついていく父親ついていく父親
(2000/11)
芹沢 俊介

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子どもはかわいい反面、子育てには精神的にも身体的にも大変な労力と忍耐が要求されますね。
そして、報酬もなければ、他人の評価も与えられない。
さらには、核家族化が進む中での情報不足にあって、きちんと子育てができて当然というような社会の風潮もあり、課せられる責任の重さに心が押しつぶされそうになる人もいるのではないかとpappoは思います。

一旦立ち止まって考えてみると、人の幸せとはいったいなんでしょうか?
それぞれの価値観があり、多様な幸せがあると思いますが、pappoは「いつでも安心して自分が自分でいられること」だと思います。
では自分とはなんでしょうか?
それはごく日常的に交わされる会話の中に常に現れるものだと思います。
たとえば、COOKがテレビの料理番組を見始めたとします。
すると横にいたpappoが心の中で「俺はドキュメント警察24時間」の方を見たいのに。。。と思ったとします。
これが「自分」だと思います。

なにも心理学がどうの、児童心理学がどうの、人生観が、哲学が、と大上段に難しく考える必要なんてないと思います。
「自分」は生活のほんの小さな出来事から、人生の岐路を左右する葛藤にいたるまで様々なシーンのそこここにあるのだと思います。

また、「自分」というのは普段とらえどころがなく、表にも出てきませんが、他人と行動を共にすることで自然と湧き上がってくるものだと思います。

しかし自分が自分でいられる、というのはいつも自分の願いが叶えられるという意味ではないと思います。
そうではなくて、いろいろな事情があって、叶えられないこともあるけれど、頭ごなしに否定されたり、押さえつけられたりすることなく、いつでも安心して自分が出せる、自分の考えを言える、ということではないかとpappoは思います。

ところで、pappoが周囲のお父さん方にアロマテラピーを奥さんにやってみませんか? と言うと、ほとんどの人が照れもあってか「いやいや、やってもらいたいのはこっちの方ですよ」と答えます。
これはもう大抵の人がそうです。
俺もやってみよう! なんて答えた人は皆無です。

オレだって会社で下げたくもない頭を下げて、家族のために朝から晩まで働いて、給料もらってきてるんだ。
大体、お前らが何不自由ない暮らしができるのは誰のお陰だと思ってるんだ。
感謝してもらいたいのはコッチの方だよ。。。
と、こう考えてしまうのもわかる気がします。

たしかに会社勤めはストレスがたまります。
やり甲斐がある一方で、周囲との調和を図りつつ、自分も出していかねばなりません。
また、気の進まない飲み会に付き合ったり、言いたいことを抑えたりと、日常的に自分を半死半生の状態にして、抑えて生きていかねばならないからです。
その苦労はわかってるのかよ! と叫びたくなる気持ちはpappoもわかります。

夫も妻も互いにストレスを感じているということですね。

だからこそ、お互いをいつくしみ、互いの苦労をねぎらうことができれば、どれほど日々の暮らしが楽になるかとpappoは思うのです。

pappoは一年間妻へアロマテラピーを続けてきて、本当に心身ともに良い変化が自分や家族の中にあったので、一度だけ試しにアロマテラピーをやってみませんか? とあえて言いたいです。
一度だけでいい、やってみましょうよ、とお父さんに言いたいです。
そして同じことをお母さんにも言いたいのです。
大事なのは「互いに」ということだとpappoは思います。

「妻の幸せが子どもの幸せであり家族の幸せ」とタイトルに書きましたが、もうひとつ付け加えさせてください。
「夫の幸せが子どもの幸せであり家族の幸せ」だということ。

優しい香りに包まれながら、手の温もりから相手をいつくしむ心や、いたわる心がきっと伝わってくると思います。
やる方もやってもらう方も「こんなに人に優しくなれるものなのかな」と感じてもらえるんじゃないかと思います。

そんな中でポツポツと語り合う言葉は優しさに満ちて、きっと家族を優しく包み込むことでしょう。






プロフィール

pappo

Author:pappo
↑pappo&cook
講座やお仕事の依頼等のお問合わせは下記までお願いいいたします。
pappoaroma@gmail.com

☆AEAJアロマ環境協会認定アロマテラピーアドバイザー
☆環境カオリスタ
☆AEAJアロマ環境協会会員
☆JMAA日本メディカルアロマテラピー協会正会員


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